偽善入門

偽善入門―浮世をサバイバルする善悪マニュアル

偽善入門―浮世をサバイバルする善悪マニュアル

古本屋で、タイトルを見て以前読みたいと思っていた本「偽善入門」に出会いました。


悪は嫌いだけれども使わなければならない。本当は誰に対しても善い心で接したいけれども、時に偽らないといけないこともあるし、偽善も心得ておかねばならない。そんな風に考えているので、この「偽善入門 浮世をサバイバルする善悪マニュアル」というタイトルに興味を持ちました。


もちろん購入して読んだわけですが期待していたものとは違う感じでした。


著者の小池さんは僧侶で、善悪について僕よりもワンランク上の視点、というかひとつの達観した視点を持っておられ、実は僕が善だろうと思っていたものも偽善、100%の善は0.001%も世の中に存在しないと言われるのでした。


だからこそ、偽善をバッサリ切り捨ててしまうと世の中を否定してしまうことになるので、偽善の中に存在する
善のパーセンテージに目を向けて、善の側にウェイトを置いた偽善を使いこなせるようになろうというのがこの本の内容でした。


不善な言動や、怒りやイライラにより心に蓄積させる業(カルマ)だとか、なんなり行動を行った後の心の動きとか、そんな俗人にとってある種ブラックボックスであったようなところを仏門の解釈で説いてくれますが、考えたこともないのでうーん、そう言われても果たしてそれは正しいものなのか?と疑ってしまいます。とはいえ、
その教えのもと、善悪をコントロールし、善い心を手にした人がいるわけだから、信じて浄化を続ければきっと偽善を使いこなせるようになるのでしょう。

反発や怒りのカルマが心に蓄積されると、入ってくる偽善の偽の方に過敏になり、人の言葉を悪くとってしまいます。そんな状態にならないために、心を浄化していくこと。心を浄化するには悪を入れず善だけを取り入れる状態を作る必要があります。無欲な状態とはもっとも集中した状態であり、その状態にある時こそもっとも心が波立つことがないため、ストレスが溜まらないようです。ストレスが溜まらないということはつまりそれ以上悪いカルマが蓄積されないというわけらしいです。無欲になるには、自らの一挙手一投足に念(センサー)を向け、瞬間の感覚に意識を込めることで雑念を払うことがコツらしいです。
また、自らの内側への念(センサー)を鋭敏化し、自らの感情を理解し、自らの感情を一歩離れた場所から見る精神的態度をとることができれば湧き上がる感情に一瞬で同化して怒ったり反発したりする人になるのではなく、穏やかにいることができるとありました。


そうやって念(センサー)を敏感にすることで、浮かび上がってくる善悪の様々なものを自らに取り入れるまでに
一度チェックすることで自らの感情をコントロールし善を増やして悪を減らすことで、偽善のより善に近い偽善を行っていくことができるということらしいです。


こんな感じのことが書いてありました。このほか、この本では智慧とか無我とかそういった難しい仏道の教えをわかりやすく書いてくれていました。


最初に書いたように期待していたものとは違った本でした。
期待していたのは「うまい偽り方」のようなブラックな内容だったのですが、こういった多くの人に信じられる
物理的にも心理的にも解明できないようなことに対する一つの答えも書いた本にも興味を持っていたので、楽しく読むことができました。